みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

  熱風の中で

 昨日東京は37度まで上がったのか。熱風の中吉祥寺のまちを歩いてた。温暖化の危機的状況が前倒しに加速しているよう。今日も暑くなりそう、と言いながらエアコンつけていませんね。昨夜寝入りばなに1時間つけたけど。

 先週「風立ちぬ」をみた。映画館の大画面に、グライダーが大海原を、青空を自由自在に飛ぶシーンを見ながらしあわせ感に充たされ、それはみ終わった後まで余韻となって続いている。一回目は背景の人物群まで観察する余裕がなかったので、もったいないからもう一度みたい。宮台真司の「宮崎監督は女の気持ちがわかっていない」というコメントを見かけたが、わかったつもりでとくとく語る男よりもいいかも。

 最近読んだ本は田中優子著『江戸の恋』。自分の恋を絡めながら江戸の恋とはどういうものであったかを指南してくれる。冒頭で「三味線をつまびきながら唄う小唄、端唄はつまりポップなラブソング。そして江戸文化の象徴でもある」その淡さ、切なさ。真剣な恋なのにどこかでふっと肩すかし、どこか冗談ぽく、それが粋なのだと。「どうしてそうなるのか。それは江戸時代の恋が遊郭を中心に展開され、文学や歌舞伎、音曲になった」。

 わが曾祖父母は江戸時代の生まれで、曾祖母は大きな百姓の家の跡取り娘であったのが、親の意思に背いて、親子ほど歳の違う年上の小百姓の曾祖父と恋愛の末に結ばれたのである。江戸時代といっても純農村と江戸市中では労働や消費生活、娯楽がまるで異なるので、同列にはできないが、曾祖父母の恋のヒントを得たいと思って手にしたのである。
 なぜ曾祖母がかなり年上の貧しい曾祖父に惚れたのか。曾祖父は三味線をひいたり碁をたしなむ趣味人であったと、娘である祖母から聞いた。曾祖父がどんな人だったのか、写真がないのでわからないが「江戸の恋」を読み、江戸の恋に、三味線の音色と、小唄が重要な意味合いがあることが何となくわかった。

 次に『光線』村田喜代子著。東日本大震災原発事故と同時に、著者は子宮癌の疑いが出る。津波報道や原発事故後の混乱と同時進行で、子宮体癌が見つかり、放射線治療を受けることになる。それも癌治療の常識を覆す最新の技術である。毎日の治療の経緯と妻の状態を、夫の眼で書いているところがすばらしい。大震災と原発をめぐる騒動と、自身の放射線による治療と生還を連作で描く。さすが芥川賞作家だ。
 私は癌ではないが、脳動脈瘤の手術を放射線照射による血管内治療で受ける予定なので、放射線の影響が心配なところが著者の不安と重なり、入院や手術の描写が具体的なので参考になった。健康保険がきかないので、車1台分の費用がかかるというが、私は車に縁がないので、車の値段がわからない。車といっても中古か新車でも違うだろうし、大体の金額を出してほしかった。
 映画「風立ちぬ」、『江戸の恋』『光線』どれもみ終わった後に爽やかさと希望が感じられよかった。今はどろどろと落ち込むものや刺激が強すぎる読み物は手に取る気になれない。