みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 自由民権運動

 何年前か、NHKのETV特集や歴史番組で、明治期に五日市憲法などの憲法草案が各地で作られていたことを知り、自由民権運動に興味を持った。自分の生まれ育った茨城県でも自由民権運動が活発に展開されていた。筑波山での集会に田中正造も参加している。

 今月12月1日〜12月27日まで町田市立自由民権運動資料館で、家永三郎文庫譲受10年記念展「家永三郎植木枝盛研究」が開催された。土曜は担当学芸員による展示解説があった。
 この展示で高知出身の民権運動リーダー植木枝盛の自宅写真を見て、あばら家なのに驚いた。茨城県では民権運動の活動家は大地主・豪農が中心だったから。栃木県の田中正造も名主の出で、自由民権活動家として国政の場に出たのである。明治維新がそうであったように、自由民権運動の活動家も南国では士族中心であったという。日本の北と南の地域性の違いに興味をおぼえた。
 自由民権運動というと、学校の教科書では板垣退助のことくらいしか頭に浮かばない。明治10年前後日本各地で自由と民権の確立をめざし、国会開設を求めて演説会や集会が活発に持たれた。とにかく五日市憲法草案が土蔵から発見されたのは、1964年(昭和43)だから、当然中学校や高校の日本史の教科書には載っていなかったし、教わっていない。そもそも明治自由民権運動の研究は一般的に知られていない。今年10月の美智子皇后の誕生日会見手記に、五日市憲法草案の内容が深く語られており注目された。しかし、東京新聞は皇后の手記を全文掲載したというが、他のマスコミは取り上げていない。

 岩波新書『自由民権』に著者色川大吉は、植木枝盛の言葉「世に良政府なるものなし、人民ただこれを良政府とならしむるのみ」を「政府(権力)はもともと悪をなすもの(性悪説)だから、人民がたえず監視し、批判し、抑制していなければたちまち圧政に変じる。つまり、こうした性来の「悪」政府にたいしては抵抗権こそ人民の基本権であって、抵抗権のない自由や民主主義は得に描いた餅に過ぎない。政府への批判を保障する言論の自由が、民主主義実現の絶対条件だという主張もそこから来ている」としている。

 自由民権運動についてテレビや新聞で、いろんな角度から取り上げてほしい。交通の不便な明治時代、地方の人々は何里も歩いて演説会場に行き、弁士の「自由・民権」の話に耳を傾け、目を輝かせたという。その運動は官憲の弾圧と、国会が開設されたことによって勢いを失う。もっとも運動が下火になっても、人々の自由と基本的人権を求める運動は消えることはなく、後に姿形を変えて伏流水のように湧き出た。

 最近脳力、集中力がとみに衰え、本を読んでも心もとない。旺盛なのは食い気のみ、料理を作るのが楽しくてならない。北海道の熟成新巻き鮭の半身が届いたので、頭を切り三平汁に、身の方をルイベにして食べたらやみつきになりそう。来年も新巻き鮭を注文しよう。という暮れも押し詰まってから、突然の安倍総理靖国神社参拝。
 反対するのはどうせ中国と韓国だからと見くびったか。そんなヘ理屈が通るのは国内だけ。案のじょう、アメリカ、イギリス、ロシア、台湾、ドイツから国連まで、呆れ苦言を呈している。明治時代の政治家の向学心、まつりごと、リスクを負う真剣さを思う。