みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 中途半端に絶望しない

 新年早々配信されたビデオニュース・ドットコム「2014年、底の抜けた日本を生き抜く」を視聴する。マル激トーク・オン・ディマンド 第664回(2014年01月04日) 
 ゲスト:東浩紀氏(哲学者) を迎えて、神保哲生宮台真司トーク。東氏は福島の記憶を忘れないために、2013年に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と『福島第一原発観光地化計画』という2冊の本を出版した。
 今、チェルノブイリや福島で起きていることを「観光」という切り口から伝えようとしているが、東氏自身の見通しは暗い。日本全体が福島に同情しているのは確かだが、それならば何とかしようという動きにつながっていない。日本人が全体的に劣化しているというのだ。

「…かつて知識人や指導者たちが当たり前のように伝承してきた教養やバーチュー(美徳)といった感覚が、日本から抜け落ちてしまった結果、社会が「底が抜けた状態」になっている。かつて日本には「立派な大人」が身近にいて、その規範としての役割を果たしていた。しかし、そのような大人と知り合う機会が失われた現代においては、そもそも教養とは何か、立派な人物とは何かといった、人間が社会で生き抜く上で最も基本的な考えを共有することすら難しくなってしまった…」

 暗い気分に滅入りながらも宮台氏は、絶望の中に希望はあるという。中途半端に絶望しない…という言葉に共感。
 日本のこれからを背負う気鋭の三人が日本のダメさをとことん語ることで、何をしなくてはならないかが見えてきたような気がする。
 
 昨日、名護市市長選挙辺野古埋め立てに反対する現職の稲峰進氏が再選された。札束攻勢で頬を叩かれながらも、当選させた名護市民は凄い。アメリカから知識人文化人の応援もあった。当選の万歳に続いてお祝いにつきもののカチャーシーの音楽が湧き、市長も支持者も踊りはじめたのが沖縄らしく爽快だった。
 沖縄から戦争の基地を失くすために、世界中の人と手をつないじゃえ。それにしても都知事選の行方に気が揉める。脱原発で一本化しないと勝ち目はないのに。選挙は戦いであり、お祭りなのだ。正しいことさえ言っていれば勝たなくてもよいのか。戦いには戦略が必要だ。