みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 新緑がまぶしい

 気がついたらすっかり葉桜となっていた。この間妹が上京して泊まったり、何かと慌ただしかった。

 読書は、山崎豊子著『大地の子』、中島岳志著『パール判事』ー東京裁判と絶対平和主義ー、それから『学徒勤労動員記録』神奈川の勤労動員を記録する会編 『記録ー少女たちの勤労動員』戦時下勤労動員少女の会編 を読む。

  パール判事については漠然と東京裁判判事の中で唯一A級戦犯の無罪を主張した人という知識しかなかったが、この本を読んで、パール判事が優秀で真摯な法律家だったこと、東京裁判の意味がだいぶ理解できた。
 パール判事は東京裁判戦勝国が一方的に裁く、法律に照らして不当な裁判であるとした。A級戦犯の刑事責任のみを判決対象としたのであり、日本の為政者に道義的責任があることを明確にしていた。ガンジーと同じ絶対的平和主義者であるパール判事は、日本がアメリカの言いなりになって再軍備をし、戦争に加担することに警告を発していた。パール判事は日本がアメリカにつくのではなく、アジアの一員として、アジアの側につき非武装中立を貫くことを求めていた。とある。


 ここからは私の感想だが、アメリカが終戦後日本に進駐するにあたり、統治しやすいように、戦争責任の罪を永久戦犯に被せて死刑にし、天皇の戦争責任を免罪にしたこと。日本人自身によって、昭和の15年間戦争の総括と反省を行っていないことのつけが現在まで尾を引いて、現在の歴史認識を巡る対立と混乱につながっていることを思わざるを得ない。
 今注目されるTPP交渉も東京裁判から続く、アメリカの属国としての経済構造に巻き込まれる恐れを感じてしまう。

 戦時中の学徒勤労動員についての2冊も、衝撃的で気になる内容だった。学徒勤労動員は生徒個々に対してではなく、学校に対して動員要請されたものであり、報奨金も学校に一括して支払われたのだった。工員に混じって一生懸命働いたが、雇用関係の下で労働者として働いたのではなかった。従って労働者としての待遇もあいまいで、学徒動員で亡くなった人々の名前も人数も明らかになっていない。男子生徒の中には危険な毒ガス製造にも従事させたれていたり、女生徒も風船爆弾や旋盤加工など慣れない作業でケガをしたり、身体を壊した人もいたという。

  …戦後29年目に学徒勤労動員中の負傷者も年金請求ができると聞いて、証明を得るため母校に出かけた。そこで知ったのは、母校には学徒勤労動員に関する記録は何もない、ということだった。学校は戦争協力のいっさいの証拠を焼却して、昭和20年8月16日から新生日本の民主主義教育に転換したのである。… 『記録 少女たちの勤労動員』−女子生徒・挺身隊勤労動員の実態 より

 私の卒業した県立高校は戦前は県立の高等女学校だった。先月はじめて知ったが、母は女学生として戦時中、学校内工場でコイル巻きの作業をしていたという。しかしこの会の県別勤労動員の記録リストから抜けている。インターネットで検索しても引っかからない。
 母の女学生時代は、学校工場でのコイル巻、竹やり訓練の他に、看護助手の講習もあり、卒業時に生徒は准看護婦の資格を得たという。本土決戦に備えて沖縄のひめゆり学徒隊に続く、女生徒の看護補助員養成がなされていたということになる。この記録や資料を探しているが、今のところどこにも見当たらない。

※ ブログに勝手に本文とまぎらわしい広告を入れられ不愉快である。友達に広告料をもらっているのだろうといわれたが、一円たりとも入ってない。いずれブログの引っ越しとリニューアルをしたい。