みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 ペリリュー島の戦い

 これまでペリリュー島の戦いは広く知られていなかった。茨城県出身の私自身知ったのは、6年前のNHKスペシャル「証言記録 ペリリュー島終わりなき持久戦〜茨城県・水戸歩兵第二連隊」だった。それをみてこんなに悲惨な戦場があったろうかと衝撃を受けた。
 その続編ともいうべき、「狂気の戦場ペリリュー 忘れられた島の記録」が13日に放映された。米軍の記録フィルムが発見され、日米両方の兵士の証言が交互に挿入されることで、ペリリュー島の悲惨な状況がよりくっきり浮かび上がる。
硫黄島の戦いが映画になったり有名なのは、米軍兵士らが硫黄島に勝利の星条旗を打ち立てるシーンがあるため、プロバガンダとして有用だったからか。たしかにこの記録フィルムや証言では、ペリリュー島の戦いは日米双方にとって表に出しにくいだろうな。
 憎しみが憎しみを呼び、やがて精神に異常をきたす。現在のイスラエルパレスチナの戦い、アフガニスタンイラク…。どの戦場見ても、戦争ははじめたら終わらせることが難しいことがわかる。

 亡き父は大正9年生まれで、昭和16年召集令状がきた。水戸歩兵第二連隊に入隊した日の検査で肺結核が発見され、即日帰郷を言い渡された。運よく命拾いをしたわけだが、兵隊に征かなかった者の肩身の狭さ、負い目があった。
 旧制中学の同期がペリリュー島で戦死している。大正9年生まれは太平洋戦争が始まった年20歳、その前後生まれもそうだが、一番戦死者の数が多いのである。

 昨日15日はフジテレビで、ペリリュー島の戦いをドラマでやった。終戦記念スペシャル「命ある限り戦え そして生き抜くんだ」、民放のドラマだから戦うことを美化し、妻や恋人との切ない別れとかのエピソードがてんこ盛りなんだろうな。どのように美化するのか見てみよう。案のじょう中川大佐は理想的な指揮官、実際人間的に悪い人ではなかったにせよ、やっぱりね。最後の割腹シーンとか、男の美学ってウソくさくてウンザリ。
 6年前のNHKスペシャル「証言記録 ペリリュー島終わりなき持久戦〜茨城県・水戸歩兵第二連隊」では、生還者が茨城なまりで、「仲間の死体喰ったのもいたんだからな。腹減っちゃったんだっぺ」というのを聞き、茨城県人の飾らない愚直な県民性がリアルに胸に迫った。ペリリュー島守備の主力は茨城県人なのである。フジテレビのドラマでは茨城なまりが少しも感じられなかった。

 さて、ペリリュー島は絶対的国防圏として、死守せねばならないという説明があったが、どうも肝心なところが省略されているように思えてならない。その先にある本土決戦の体制がまだ整っていないので、時間稼ぎとしてペリリュー島守備隊は玉砕を禁じられ、狂気の持久戦を強いられた。硫黄島、沖縄も同様であったという。
 となると来年は戦後70周年。終戦特集は「本土決戦」とは何だったのかの検証になりますかね。どこまで真実に迫れるのか。新しい事実が出るのか。愉しみ。