みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

くぬぎ炭と岸本定吉さん

kawanomiti2005-12-11

火鉢用くぬぎ炭が届いた。
くぬぎ炭の美しい切り口に見ほれているうち、「炭焼き博士」岸本定吉さん(東京教育大名誉教授)のことを思い出した。
今から十数年前、地域で炭と環境問題をテーマに実行委員会でイベントを行った。

使用済みの割り箸を市民に声をかけて持ち寄ってもらい、ドラム缶型の炭焼き機で炭に焼いて配った。それと同時に炭と環境保全をテーマに岸本定吉氏の講演会を行った。
炭の効用がまだそれほど行き渡っていない頃で、市民の反応は今ひとつ、講演会は無料にもかかわらず30人くらいしか参加者が集まらなかった。
新聞で知って来た他地域の人に「岸本先生の講演会にこれだけの人しか集められないとは、主催者の怠慢だ」と叱られ、返す言葉もなかった。


三鷹市にある岸本定吉さんのお宅に何人かでお邪魔したことがある。応接間には特注のテーブル式囲炉裏があった。くぬぎ炭の美しさとぬくもり、鉄瓶、自在鉤、岸本夫妻の気さくな人柄に魅せられた。
岸本定吉さんはその後、林業に貢献した実績で国から表彰された。炭ブームとあいまって「炭焼き博士」として引っ張りだこになった。
炭焼きは世界中で行われているが、その中で日本の炭は茶の湯に使われることで炭焼きの技術が洗練され、質のよい炭が生産されるようになった。
岸本さんは「炭焼きの会」会長として、会員とともに経済後進国の人々に質のよい炭を焼く技術を現地で教えた。
質のよい炭ができれば高く売れ、経済的に自立できるからである。
納得のいく炭焼き釜ができて現地の人とうれしそうに踊る岸本さんの映像が忘れられない。岸本さん80代半ばのころである。
岸本さんは三年前、92歳で亡くなった。


昨日、連続講座5回目「幕末から明治へ 近代国家の骨組みはどう作られたか」
”江戸時代の教育と近代教育制度の成立”
講師 国学院大学教授 田嶋 一氏
1 江戸時代の学問と教育  2 明治国家の成立と教育の近代化  3 近代的な教育制度の確立と展開
と大きく3つにわけたレジメの内容だったが、いかんせん2時間の枠である。前もって、駆け足でポイントしか話せないという断りがあった。
江戸時代後期、それまで武士階級しか学びの場がなかったが、商家など富裕な市民層の子どもに読み書きを教える寺子屋が生まれた。一斉授業ではなく、一人ひとりの能力に応じて、教科書(お手本)が違う。つまり、商家の子にとっては、商売をする、生活していく上に必要な力をつけるための勉強だった。
江戸時代の子供たちは今の子供よりも勉強や習い事に忙しかったというのは意外だった。
明治になって外国の制度にならい国家的な近代教育制度が確立される。自分のために必要な力をつける勉強から、国家のために学ぶ一斉授業になった。
教育勅語が制定され、知育教育から徳育中心に教育改革が行われる。教育勅語が徹底され、忠義のために死ぬことが奨励された。
というところで時間切れになった。


この連続講座の中で、一番関心があったのは、今回の教育制度の確立だった。
私の祖父の父親、慶応元年生まれのひいおじいさんは明治になって作られた師範学校の第一期卒業生で、卒業後すぐに小学校の校長になったという。だからというわけではないのだが、学校教育の歴史、学校のことが気になる。わが子の教育では間に合わなかったが、もし孫ができたらどんな教育を受けさせたいか、どんな学校に入れたいか。
最高学府を出た優秀な(はず)の官僚や企業幹部が不正をしたり、惰性に流れるのはなぜなのだろうか。
日本人は奴隷のような働き方をさせられても何もいえないのはなぜか・・・、これらは学校教育と関係があるような気がするのだが。