みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

読書の秋 多田富雄を読む

涼しくて何をするにもうれしい。今、多田富雄氏の本を続けて読んでいる。

最初に柳沢桂子さんとの対話「露の身ながら」、次に石牟礼道子さんとの対話「言霊」を読んだ。
オペラ、能、私には敷居の高い分野がたびたび語られ、病と向き合う合う姿勢に共感しつつも知性と格調の高さに気後れする。


実は私、石牟礼道子さんの新作能「不知火」が発表された時、能に造詣の深い同僚に同行を頼み、仕事を終えてから観に行ったのである。どうだったかというと、筋も何もわからないうちに眠りこんでしまった。同僚に「疲れていたのね」と慰められたが、思い出すだに恥ずかしい。能には関心があるので、身体のコンディションのよい時期にまた挑戦してみたいが。

今は「寡黙なる巨人」を読んでいる最中、昔健康なころ無意識に暮らしていたころと比べて、つらいリハビリを受けながら、障害と闘っている今のほうがもっと生き生きしているという実感を感じられる。と書いておられる。生の実感というのはそういうものだろうな、となんとなくわかる。お金も暇もあり、健康に恵まれながら、生き生きとしていない人は結構多いもの。


本を読み進むうち、多田氏が茨城県出身であることを知る。しかも水海道中学、水海道第一高等学校卒業生とは驚いた。亡くなった祖父も旧制の水海道中学出身だ。
終戦直後に水海道中学は新制高校に移行する。戦争のカーキ色に染まった幼年時代を送った多田氏や同級生にとって、食糧難でひもじかったが、自由な空気の中で知識を吸収し、本や音楽に触れ過ごした少年時代の経験がエネルギーのもとになっているという。

(※このころ、茨城県下の旧制中学、新制高校では残存する古い体制への不満が噴出、生徒、教職員の間でストライキなどが行われた。教育委員の公選制の実施や自由教育など、学校教育現場が活気に溢れていた時代。私はこの頃の学校現場のことを部分的に聞いており関心がある)

多田氏が、リハビリ中止問題、後期高齢者医療制度厚労省と正面から闘い続けていることは、短気、怒りっぽいという茨城県人気質の片鱗を感じさせ、親近感をおぼえた。


これを書いている時、ニュースで麻生幹事長が総裁選を前に、後期高齢者医療制度を抜本的に見直すと語っているのが聴こえてきた。これだけではどこまでやるのかわからないが、選挙前に拙速に見直さないでくれ。
私は最近も仕事で療養型の病院に行ったが、何の反応のないまま管につながれて、生命維持装置で生かされている老人を見てきた。長い病院生活で、関節が曲がり固まった状態でベッドに転がっていた。
延命治療はどこまでやるのか、医療の無駄、薬漬け、検査漬け医療をあぶり出せるか。医師会と厚労省族議員が馴れ合って駄目にした医療を改革し再生できるのか。高齢化で医療費は増大するばかり、国民に情報を出し、医療の改革・再生に参画させない限り真の改革はできないと思う。