みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 読むべき本

 頭の中も身辺もばたばたしていたせいでブログは小休止でした。それでも読むべき本はあった。まず今年の夏新刊された血盟団事件中島岳志著。
 昭和恐慌、満州事変を背景として血盟団事件、五.一五テロ事件、二・二六事件と一連のテロ事件が起きた。このうち1932(昭和7)年の血盟団事件、五.一五テロ事件は茨城県民が深く関わっていた。郷里の地名や小学校の名前が登場し、茨城県出身の私としては関心がなかろうはずはない。この本を読むまでは、一連のテロは幕末の水戸浪士のテロに続く茨城県人の県民性・単細胞の直情的気質によるものが大きいのではないかと思っていた。
 『茨城縣議会史―大地に緑の塔を』によると、血盟団、五・一五の両事件は八月末開会の臨時県会、さらに年末の通常県会で取り上げられ論議された。
 熊本栄太郎議員は十一月二九日の質問で、「われわれ県民にこの問題がいかに衝撃を与えているか。…この事件以来、聞くところによると、茨城県民が他に職を求めようとすると、県民性に危険が多いというように誤認せられ、茨城県民であるがゆえに職を断られる。甚だしきに至っては、一夜の宿を求めても、茨城県民なるが故に旅館から断られたと聞いている。…これらの問題に対して県当局は、いかなる方針で思想善導、取締りを行うのか」。と県民が大きなショックを受けていることをあげた。
 阿部知事は答弁で「県民がこうむった迷惑はお話の通りである。名誉回復のためには、一方において根本的に教育の面から善導する。…もう一方においては警察力を充実して取締りを強化する…」と、県としては警察力も充実して取締りに遺憾の内容にする、と述べた。
 県はこの後、社会運動取り締まりを担当する特別高等警察(特高)を重点的に拡充している。
           (以上『茨城縣議会史―大地に緑の塔を』321ページより引用)

 しかしテロ実行者たちの生い立ち、心の軌跡を丹念に拾う『血盟団事件』を読み、農村の疲弊・困窮の中で苦悩し苛立つ茨城県北部の青年たちの生真面目さ、純粋さが、日蓮の教えへと導かれ、理想社会への実現を求めてテロへと向かったことを理解した。私は彼らのように自らの命を投げ出すほど真摯ではなかったが、その葛藤・苛立ちは若い頃の自分とさほど変わらないではないか。
 著者は「あとがき」でこう述べている。「…私は、血盟団事件を追いかけながら、どうしても現在社会のことを思わざるを得なかった。格差社会が拡大し、人々が承認不安に苛まれる中、政治不信が拡大し、救世主待望論が浸透する現実は、一九二〇代以降の日本とあまりにも状況が似ている…」

 次に河野太郎氏のツイッターで知った『原発 ホワイトアウト』若杉冽著 図書館にリクエストを出し、私は3番目だった。私の後に10人以上の人が順番を待っているので、早く次の人に回したいが、ざっとあらすじを追い、もう一回読み直しているところ。
 内容的には想定範囲だったが、現職官僚が書いているというだけあって、臨場感があり、現実味を帯びて怖い。退院直後なのに一気に読んでしまった。小泉元首相は最近「脱原発」で張り切っているようだが、表舞台から降りて閑になったから、この話題の本を読んだであろうか。本にも書いてあるように、国民の多くは本や新聞を読まない。しかしテレビは見る。だから政治家はテレビでどう伝えているかを気にする。
 そういう意味でこの本がテレビドラマ化、映画、漫画化されればいいな。若杉冽氏は第二弾を考えているようだが、自公が勝利し原発再稼働・原発輸出まっしぐら、原発安全神話に逆戻りしつつあるのが腹に据えかねるのだろうな。
「国の政治は、その国の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである」とあきらめつつも公僕としての矜持を貫こうとする。しかし、原子力モンスターの牙城での闘いは想像を絶するものではないか。私ならストレスでダウンしそう。著書を読んだ者として、国民の一人として何ができるだろうか。

 
さて最後に取り上げるのは、本ではない。「美智子皇后の79歳の誕生日会見のお言葉」(平成25年10月20日) 「宮内記者会の質問に対する文書ご回答
 全文は宮内庁のホームページで読んでいただくとして、「皇后さまにとってのこの1年、印象に残った出来事やご感想をお願いします」という問いに対して。
 全般的に明るい話題よりは、東日本大震災の避難者が今も28万人を超えていること、福島第一原発原子炉建屋の爆発の折、現場で指揮に当たった吉田所長が亡くなったことに触れ、今も作業現場で働く人々の安全を祈っています。と、大震災とその後の日々が過去として遠ざかっていくことに対して、(柔らかい言葉で)どこまでも寄り添う気持ちを持ち続けなければ…と記されている。
 そして「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」(以上、宮内庁ホームページより引用)。

 美智子皇后がここまで五日市憲法について深く、具体的に言及されていることに驚く。現天皇皇后は中学生になるころに終戦となり、多感な成長期に戦後の民主教育を受けた世代である。今書きながら気がついたのは、昭和22年に文部省が発行し中学校の授業で使われた画期的な、しかし数年で廃止になった(幻の)副読本「あたらしい憲法のはなし」も手にしたはずだ。
 先の15年戦争の悲惨さや理不尽を体験した世代だからこそ、自民党憲法草案や現憲法を押し付けられた憲法とする改憲論議に危機感を持ち、「五日市憲法草案」の存在と意義を知らしめたのであろうと推察した。私自身、各地の民権運動の高まりの中で作られた現憲法と相通じるこの五日市憲法草案のことが表に出ず、議論されないことが不思議でならなかった。天皇皇后の過去の「お言葉」を丹念に読めば、天皇皇后が現憲法に忠実であろうとし、9条の改悪について危惧を抱いていることは察知できるが、それでも今回、美智子皇后の決意のようなものを感じ取り胸打たれた。
 そして、この一年間に亡くなった親しい方々の中に、「暮らしの手帖」を創刊した大橋槇子さん、日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん、高野悦子さん…の名が入っているのを見て、おおーっとなった。美智子皇后が子どもの頃から本が好きだったことや、また皇居の庭で天皇皇后が散歩しながら、ノビルやツクシを摘む姿に親近感を抱き、話が合い友達になれる人だと勝手に決めていた(笑)。 立場、物理的距離はあまりに遠く、会うことはないだろうが、心の中で対話できる存在…
 退院して2週間が過ぎたので、手術のことを書くつもりだったが、時間切れ。まだ疲れやすく頭と体が持たないので、次回に回す。